「叙述トリック」と聞くと、読者を巧みに騙す驚きの結末をイメージする方も多いでしょう。現在では、本格ミステリー小説における重要なジャンル(手法)の一つとして確立されています。
本記事では、叙述トリックの定義や仕組みを解説するとともに、見事な叙述トリックが仕掛けられたおすすめの名作ミステリー8選を紹介します。
目次
叙述トリックとは「文章の特性」で読者を欺く仕掛け
叙述トリックとは、小説という「文字情報」の特性を逆手に取り、読者に事実を誤認させる(ミスリードする)仕掛けのことを指します。
登場人物を騙すのではなく、「読者を直接騙す」点が最大の特徴です。そのため、映像化してしまうとネタバレになってしまう作品も多く、まさに小説のためにあるトリックと言えます。
作者が意図的に真相を誤認させる技術
叙述トリックでは、作者があえて曖昧な表現を用いたり、重要な情報を伏せたりすることで、読者の脳内に「思い込み」を発生させます。
「犯人は男だと思っていたら女だった」「現代だと思っていたら過去だった」など、読者が勝手に補完したイメージを利用し、真相が明かされた瞬間に世界観を反転させるのです。
よく使われる叙述トリックのパターン例
代表的な叙述トリックの手法には以下のようなものがあります。
- 時系列の誤認: 過去と現在の出来事を、あたかも同時進行のように描く。
- 人物の誤認(性別・年齢): 名前や口調から、性別や年齢を誤読させる(例:「私」という一人称の人物を女性と思わせる)。
- 人物の同一性・複数性: 別人だと思っていた人物が実は同一人物、あるいはその逆。
- 信頼できない語り手: 語り手自身が犯人であり、嘘の記述や意図的な情報の隠蔽を行う。
叙述トリック論争を生んだ『アクロイド殺し』
叙述トリックの歴史を語る上で外せないのが、ミステリーの女王アガサ・クリスティの『アクロイド殺し』(1926年刊)です。名探偵エルキュール・ポアロが活躍する本作は、出版当時、ミステリー愛好家の間で大論争を巻き起こしました。
フェアかアンフェアか
論争の火種となったのは、「語り手が重要な事実を(嘘はついていないが)書いていなかった」という点です。当時の読者の一部は、「読者に対してアンフェアだ」「手の内を見せないのは卑怯だ」と非難しました。
しかし、この作品が「信頼できない語り手」という叙述トリックの手法を世に知らしめたことは間違いありません。現在では、叙述トリックを利用した歴史的傑作として高く評価されています。
リンク
驚愕のどんでん返し!叙述トリックを使ったおすすめ作品8選
ここからは、巧みな叙述トリックが仕掛けられたミステリー小説の傑作を8作品紹介します。作者の罠にハマり、世界が反転する快感を味わってみてください。
『不連続殺人事件』(坂口安吾)
リンク
『不連続殺人事件』は財閥の屋敷やその集落で事件が起こるクローズドサークルものです。しかし、作者の叙述トリックが冴えわたり、真犯人のアリバイや動機がうまく隠されています。
終戦後の1947年、財閥一族の地元が舞台。当主の長男夫妻に招かれ、語り手の小説家と妻、友人の探偵とともに誘いに応じます。疎開したまま当地に居座る親族や、偽の招待状をもらった主人夫妻と微妙な関係にある客も勢揃い。ついに連続殺人事件の幕が上がります。
『ある閉ざされた雪の山荘で』(東野圭吾)
リンク
『ある閉ざされた雪の山荘で』は、雪の中の山荘で事件が起こる設定の劇のオーディションが舞台です。クローズドサークルのように見えますが、あくまでも作中のシナリオに過ぎません。本当に犯罪が行われているのか主人公たちもわからず困惑しています。
地の文に、叙述トリックがうまく使われ、犯人を隠すのに効果的。演技をしている劇団員の視点であるのか、犯人側の視点であるのか、場を操る第三者がいるのかどうかわかりにくいですね。
『R.P.G.』(宮部みゆき)
リンク
『R.P.G.』は、インターネットの仮想世界と実際の生活との落差をからめたミステリー小説です。作中の設定が最後にまったく異なる叙述トリックにも通じます。なぜ『R.P.G.』のタイトルが使われたのか理解できるでしょう。
建築中の住宅の中で男性の遺体が発見されます。被害者はインターネット上で、父(被害者)、母、娘、息子の設定で、家族として4人で交流していました。事件解決のため、被害者の娘の女子高生を警察署に呼び出し、仮想空間の家族たちの取り調べを見学させます。
『迷路館の殺人』(綾辻行人)
リンク
『迷路館の殺人』は館シリーズの3作め。ミステリー作家、鹿谷門実のデビューの作品が作中の話として書かれています。鹿谷門実の謎と、作中の人物の描写などに叙述トリックが使われ、連続殺人事件の真犯人を当てるのは非常に難しいです。
推理作家の巨匠により『迷路館』に招かれた作家や編集者、評論家などの客人は、大御所の自殺に遭遇します。迷路館を題材に、5日間以内に優れた小説を書いた者に遺産を半分相続する権利を渡すという遺書を知らされた面々は、欲をかいて執筆活動に取り掛かることに。
『夜歩く』(横溝正史)
リンク
『夜歩く』は、探偵の金田一耕助が没落した主家と力を持った家臣の家で起こる因縁の連続殺人事件。家臣の系統の息子の友人が、事件の記録役です。複雑な家系と陰鬱な雰囲気で事件の禍々しさを強調しています。
タイトルと、顔のない遺体は、叙述トリックが使われ、裏を返すと犯人にとって重大な意味を持つでしょう。ある人物に疑いをかけるための重大な仕掛けとなり、真犯人の恨みや悲しみがこもっているかのようです。
『死の接吻』(アイラ・レヴィン)
リンク
『死の接吻』は、犯人である主人公が語り手の倒叙ミステリー小説です。資産家の娘、三姉妹をたぶらかして、美貌に自信がある犯人自身が財産目当てで取り入り殺人事件を起こすという内容。途中の部分で、話の進行が伏せられているため、誰が犯人の男性であるかわからずに緊張感があります。
全般的にスリルに満ちていて、犯人の名前が語られていないことも忘れるほどです(後半部でようやく明かされます)。
『そして誰もいなくなった』(アガサ・クリスティ)
リンク
絶海の孤島で起こる連続殺人事件を描いた『そして誰もいなくなった』は、クローズドサークルのミステリー小説で有名な存在です。孤島に招かれた男女と使用人は、10人の小さな兵隊さんの童歌になぞらえて、次々に殺されていきます。しかし、最後の犠牲者は、招待者ではありません。
招待した人物は客と一緒に孤島にいるはずで、犠牲者のうちの誰かに扮していたはずです。叙述トリックが使われていて、読者に直接見えない部分に手がかりがあります。一度読んだだけでは気がつきにくいでしょう。
『十日間の不思議』(エラリー・クイーン)
リンク
『十日間の不思議』は、探偵エラリー・クイーンが登場するシリーズの1つです。事件の解決までを1日目~10日目と章のタイトル名がついています。パズルのような難事件を一気に理詰めで解決する探偵の姿ではなく、非常に重苦しい結末を迎えます。探偵自身も叙述トリックに引っかかり、読者も裏切られた気分になるかもしれません。
血まみれのまま宿で目を覚ました男は、記憶喪失になることがあり自分が何か事件を起こしているのではと不安にかられます。友人のエラリーに相談し、故郷のライツヴィルまで同道してもらいます。息子を可愛がっている養父は何も知らないようですが、男は継母と不倫関係にあるという悩みを抱えていました。
叙述トリックに関するよくある質問(FAQ)
叙述トリックについて、読者からよく寄せられる疑問をQ&A形式でまとめました。
- 叙述トリックと「倒叙ミステリー」の違いは何ですか?
-
「読者を騙す」か「犯人を最初に見せる」かの違いです。
叙述トリックは、文章の記述を工夫して「読者の認識」を事実とズレさせる仕掛けのことです。誰が犯人か、どのような状況か、最後まで隠すことが一般的です。 一方、倒叙(とうじょ)ミステリーは、『刑事コロンボ』や『古畑任三郎』のように、冒頭で犯人と犯行の様子を読者(視聴者)に見せる形式です。「誰が犯人か」ではなく「どうやって追い詰めるか」を楽しむジャンルです。 ※『死の接吻』のように、倒叙形式でありながら叙述トリックが使われている作品も存在します。
- 叙述トリックは「アンフェア」だと言われるのはなぜですか?
-
読者に必要な情報を意図的に隠す手法が、一部で「ルール違反」と捉えられたためです。
古典的なミステリーでは「読者と探偵は対等な条件で推理できるべき」という「ノックスの十戒」のような暗黙のルールがありました。叙述トリックは、語り手が重要事項をあえて言わなかったり、誤認を誘う書き方をしたりするため、かつては「卑怯(アンフェア)」と批判されることもありました。 しかし現在では、その「騙される快感」こそがミステリーの醍醐味として広く受け入れられています。
- 叙述トリックの小説は映像化(映画・ドラマ化)できますか?
-
非常に難しいですが、演出次第では可能です。
叙述トリックの多くは「性別や年齢を誤認させる」「別人と思わせる」など、文字情報ならではの曖昧さを利用しています。映像では姿が見えてしまうため、そのままのトリックは成立しません。 しかし、カメラワークで意図的に顔を映さない、配役を工夫するなど、映像独自の演出に変換して成功した映画やドラマも存在します。「映像化不可能」というキャッチコピーは、叙述トリック作品の褒め言葉としてよく使われます。
- 自分で叙述トリックを書くコツはありますか?
-
「嘘はつかずに、誤解させる」ことが鉄則です。
読者を騙したいからといって、事実と異なる嘘を書いてはいけません(それは単なるルール違反です)。 「明確に書かないことで、読者に勝手な想像をさせる」のがコツです。例えば、「長い髪をとかした」とだけ書き、読者に「女性だ」と思い込ませておいて、実は「髪の長い男性だった」と明かすような手法です。読者の先入観(バイアス)をうまく利用しましょう。
叙述トリックは「騙される快感」を知る読者におすすめ
叙述トリックとは、作者が読者に対して仕掛ける知的なゲームです。「アンフェアだ」と感じる境界線ギリギリを攻めるからこそ、真相がわかった瞬間のカタルシスは他のジャンルでは味わえません。
「先入観を持たずに読む」ことすら難しい叙述トリックの名作たち。ぜひ、作者の仕掛けた罠に心地よく騙されてみてはいかがでしょうか。