『とはずがたり』は鎌倉時代の中期~後期ごろに成立した作品。朝廷ではなく、鎌倉幕府に政権が移行している時期です。現存する写本はわずかに『桂宮本』5冊のみ(宮内庁の桂宮蔵書にあった)と、かなり珍しいです。本記事では、『とはずがたり』がどのような作品か、かんたんなあらすじとともに紹介します。
目次
『とはずがたり』はどのような本?
『とはずがたり』の本の背景や、作者を含めた登場人物について紹介します。
作品の内容を知りたい人に、下記の現代語訳の本がおすすめ。(原文は記載なし)
柔らかい文体で、原文で読むのが難しいと感じる人も安心して読めます。日本の伝統色や京周辺の地図、作者の家系図など掲載され、わかりやすいように配慮されていますよ。
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表題は『語らずにはいられない』薄幸の美女の日記
表題の意味は『(人から問われなくても)語らずにはいられない』という意味が込められているとのこと。院に仕える女房が書いた日記文学で、作者はただ『自分の気持ちを書いておきたい』という理由から記したといわれています。
宮中での華やかではあるがどこか不道徳な生活を送る姿と、落飾して尼となり旅をする強さと俗世間を忘れられない弱さに揺れる姿をあるがままに記しています。作者の存在は『尊卑分脈』(貴族の家系図)に記載がありません。実在したかわからず、謎に包まれています。
隠された理由…宮中を揺るがすスキャンダル
『とはずがたり』は孤本(唯一の現存本)であり、他の文学作品のように他の系統の写本がありません。理由は天皇家のスキャンダルを広めるわけにはいかないと、隠されていた可能性が指摘されています。ところどころに刃物などで切って削除した部分も見られ、つじつまが合わずに結末も尻切れとんぼです。
写本が発見されたのは1938年(昭和13年)。第二次世界大戦の最中です。当時は天皇中心の国家体制のために失礼のないように表には出されず、本格的な研究は終戦以降になりました。
作者と登場人物
- 後深草院二条(ごふかくさいんにじょう)…作者(後深草院に使える女房)
作者の母親が院の乳母であったために幼い4歳の頃から院に育てられ、14歳で後宮に入り女房として出仕。非常に美しく、院や身分の高い男性から寵愛されますが、嫉妬され宮中を退出させられる羽目に陥ります。宮中から去った後は、32歳で尼となり諸国を旅して仏に仕える修行をし、歌で身を立てようとしますが…。
主要人物
乳母であった作者の母の面影を忘れられず作者を可愛がります。作者の恋愛沙汰(とくに亀山院)に怒り、宮中から追放。その後戻って来るように懇願します。
- 雪の曙(ゆきのあけぼの)…西園寺実兼(さいおんじさねかね)
作者の親族で、幼い頃将来を誓った恋人。作者とは距離を置きますが、頼みを聞いて協力するなど好意的に接します。
- 有明の月(ありあけのつき)…性助法親王(しょうじょほっしんのう)、後深草院の弟で出家した身。
作者を気に入り、2人子どもを産ませるが死産(後深草院は黙認)。法親王自身も流行り病で命を落とします。
- 近衛大殿(このえのおおいどの)…鷹司兼平(たかつかさかねひら)
後深草院を支える太政大臣で有力者。後深草院に作者を自分のもとに召し出すように懇願して呼び寄せます。
後深草院とは対立する関係。作者が亀山院と通じたことを知り、後深草院を激怒させます。
- 東二条院(ひがしにじょういん)…後深草院の中宮、西園寺公子(さいおんじきみこ)。
後深草院の叔母(院の母の実妹)で、院よりも11歳年上。嫉妬深く作者を敵視し、辛くあたります。
- 遊義門院(ゆうぎもんいん)…後深草院と東二条院の皇女、姈子(れいし)内親王。
巻5で両親の死後、声をかけた作者に優しく接する優美な女性。作者と歌のやり取りをします。
『とはずがたり』のあらすじをざっくりと紹介
巻一から巻五まであります。前編の巻三までは宮中の生活が書かれ、後深草院(御所)をはじめとした男性との愛憎半ばする関係を、巻四と五では出家後に尼になり諸国を旅する様子を書いています。
巻一…宮中での作者と御所との関係
それまで宮中で御所に可愛がられた作者は14歳になりました。乳母であった亡き作者の母に憧れる御所に懇願され、宮仕えに上がります。父も15歳で亡くなり孤児になった作者は孤独の身に。恋人だった雪の曙から求婚されて、内緒で子どもを産みますが、どこかに連れ去られてしまいます。宮仕えの身で仕方なく、御所に他の女性との逢引を手伝うように命じられて複雑な気分になる作者。東二条院は辛くあたり、17歳にして作者は出家を望むようになりました。
巻二…御所以外の男性との逢瀬
正月の宮中で御所に仕返しをした女房たち。首謀者と濡れ衣を着せられて嫌な気持ちに。御所の病気が治るよう、祈祷に現れた有明の月が作者に好意をもち、結ばれることになります。御所の病が治ると有明の月への気持ちが冷めてしまい、ひどく恨まれ落ち込む作者。尼になろうとしますが、雪の曙に止められ御所のもとに戻されることに。御所は実力者の近衛大殿の求めに応じ、作者と関係をもたせます。次第に御所に不信感が募っていき…。
巻三…有明の月の関係と御所および東二条院の不興
作者は再び皇女の病気の祈祷に訪れた有明の月と復縁。御所の取り持ちで公認の仲となります。その反面、御所は2人の関係に嫉妬して作者の気持ちは複雑。御所の母の快気祝いの祝宴に作者も気が進まないながら出席し、東二条院から『正妻のように扱われている』と嫌がらせが炸裂します。
有明の月の死後に皇子が生まれ、御所の子として扱うことに。宮中に御所の弟の亀山院と作者が密通していると噂が立ち、東二条院から不道徳だと退出するよう要求が。御所も亀山院との関係には不快な気持ちで、彼女をかばうことがありません。後から帰参するように御所から求められますが、作者は毅然とした態度で実家に戻ります。
巻四…追放後に出家し東国への旅
作者は32歳で、かねてからの希望により尼になります。西行を手本に東国を旅して修行と歌の道に生きようと決意。江の島を越えて、鎌倉に向かいます。その地で将軍、惟康(これやす)親王が廃されて京都に追放されるさまを描写。御所の皇子、久明(ひさあきら)親王を出迎える支度を手伝います。
尼寺で学問を修めようとする作者ですが、宮中の華やかな暮らしが浮かび寂しい気持ちに。岩清水八幡宮で御所と再会した後、御所に招かれて出家後の生活を語り明かします。覚悟はできていても、それまでの暮らしと出家後の生活で揺れ動く気持ちが見て取れるようです。
巻五…御所と東二条院を悼む西国への旅
45歳になった作者は、西国に出向き瀬戸内海で出家した遊女たちと交流しつつ、厳島神社に参拝。庵に住む尼のもとに逗留、親切な女性たちと友好を深めます。奈良にいたところ、東二条院の死と御所が重病にかかっていると噂を耳に。雪の曙に頼んで、病に苦しむ御所の様子を少しだけ見させてもらうことに。崩御した御所への目通りは叶わず、作者は御所の棺を追って、素足で追いかけます。
岩清水八幡宮で御所と東二条院の冥福を祈る作者。2人の内親王の遊義門院が供養に訪れると聞き、彼女に声をかけます。遊義門院は彼女に優しく、互いに歌や手紙をやり取りする仲に。この日記を書いた理由を書いています。(結末は消失していて、最後に何を言いたかったかははっきりしません。)
『とはずがたり』のあらすじで実感!寄る辺ない女性の悲しみと強さ
『とはずがたり』の作者は、あらすじから見ると前半と後半で大きく異なる印象です。宮中にいる頃は、周囲の身分の高い男性に流されて、時には悔しい気持ちで日々を送ります。出家後の旅路では、一人の女性として揺れ動く気持ちがありながら、しっかりと周囲と交流して生きているかのようです。後ろ盾を失ってから、頼るもののない悲しみを抱えつつ、強く生きていく様子を描いています。