『蜻蛉日記』は、藤原兼家の妻となった藤原道綱母が、954年から974年までの約20年間の結婚生活を書いた上・中・下3巻の日記文学です。成立は974年(天延2年)前後で、女流日記文学のさきがけとされます。夫が他の女性のもとへ通う日々を書いた作品で、教科書に載る「うつろひたる菊(町の小路の女)」もこの日記の上巻の場面です。結末は39歳の大晦日で、そこを最後に筆が途絶えています。本記事では3巻それぞれのあらすじを簡単にまとめます。
| 作品名 | 蜻蛉日記(かげろうにっき) |
| 作者 | 藤原道綱母(右大将道綱母)。本名は不詳、936年ごろ〜995年ごろ |
| 成立 | 974年(天延2年)前後 |
| 巻数 | 上・中・下の3巻 |
| 描かれる期間 | 954年(天暦8年)〜974年(天延2年)の約20年間 |
| 夫 | 藤原兼家。藤原道長の父にあたる |
| 位置づけ | 女流日記文学のさきがけ |
蜻蛉日記とは?

蜻蛉日記のあらすじを説明する前に、作者と作品を書いた理由とその背景について紹介します。
作者は『藤原道綱母(ふじわらのみちつなのはは)』
作者は別名『右大将(うだいしょう)道綱母』とも呼ばれます。本名はわかっておらず、生没年も936年ごろ〜995年ごろと推定されているだけです。系図集『尊卑分脈』には「本朝第一美人三人内也」と記され、当時から美人として知られていたことがうかがえます。夫は藤原兼家(かねいえ)。藤原師輔の三男で、のちに摂関家を栄えさせる藤原道長(母は正室の藤原時姫)の父にあたります。結婚は954年(天暦8年)のことでした。
同じ藤原氏でも、兼家の家に比べると作者の実家は受領階級で家柄が低い立場でした。作者はプライドが高く嫉妬深い一面を自分でも書き残していますが、和歌の名手としての評価は高く、小倉百人一首には「嘆きつつひとり寝る夜の明くる間はいかに久しきものとかは知る」の一首が右大将道綱母の名で選ばれています。この歌は、次に触れる「うつろひたる菊」の場面で詠まれたものです。
『蜻蛉日記』を記した理由
浮名を流す夫との苦労の多い夫婦生活について、周囲の人に記録を残すために蜻蛉日記を記したとのこと。日記文学という形式を取りながら、過去の夫の仕打ちなどを確認しながら筆を進めたようです。一夫多妻制ではあるものの、浮気ばかりする夫の姿を通じて、正妻と自分より後に結婚した女性を重んじている怒りや、自分への寵愛が薄れていくのを悔しく感じているさまを描いています。
一夫多妻制…通い婚は妻に負担
当時は一夫多妻制で、夫が妻の家に通う妻問婚(つまどいこん)が一般的でした。この形では、権力者の周囲に正妻や妻などの家に夫が通いながら婚姻生活を進めていきます。女性に飽きられたら捨てられることもあり、逆に妻に見限られる例もあるようですね。
いくら美人で歌がうまくても、プライドが高い作者。段々と他の女性と親しくなり、可愛げが感じられない作者との距離は遠ざかる一方。作者は正妻と張り合っていた様子が見え隠れし、周囲の人と良好な関係を築くのが苦手な様子も伺えます。
蜻蛉日記のあらすじを簡単に|上・中・下巻の3部構成

上中下巻の3部構成で、上巻は15年間、中巻と下巻はそれぞれ3年間を描写。上巻は作者と夫や登場人物との歌のやり取りが見られ、浮気をしてもそれなりに大切にされていた様子。しかし、中巻は作者が寂しく和歌を独泳する場面が目立ちます。下巻は身辺に起こった雑記、とくに印象深い出来事を中心に表記。夫との距離がだいぶ開いて孤立を深めた印象です。
| 巻 | 年代 | おもな出来事 |
|---|---|---|
| 上巻 | 954年〜968年ごろ(約15年) | 兼家との結婚、道綱の誕生、町の小路の女の登場。巻末で日記の題名の由来を語る |
| 中巻 | 969年〜971年ごろ(約3年) | 訪れの間隔が開き、道綱に出家の相談をする。鳴滝の般若寺にこもる |
| 下巻 | 972年〜974年ごろ(約3年) | 兼家の大納言昇進、養女を迎える、近江の女の登場。39歳の大晦日で筆が止まる |
上巻『結婚生活とライバルの女たち』(954年〜968年ごろ)
藤原兼家が受領階級の貴族の娘にあたる作者に求婚して、父が身分違いで恐れ多いと感想を漏らすところから始まります。結婚をして順調で幸せな作者。自分にとって初めての子ども道綱を出産。しかし、出産の頃になると同時に浮気を重ねる夫は、朝廷に用事があるから訪問が難しいと言いつつ、町の小路の女を寵愛し子どもを産ませます。
町の小路の女は夫に捨てられてすっかり零落したと耳にし、いい気味だとライバルの様子にほくそ笑みました。さらに、夫の正妻の藤原時姫に、『おたがいに浮気されてつらいですね』と同情するような嫌味な歌を贈ったら、正妻に『(正妻ではない)作者自身も浮気相手に過ぎないでしょう』と返歌でやり込められることに。
つまらないことで夫婦喧嘩をして、夫が「もう行かない」と言い、子どもの道綱が泣いてしまう事態に。数日間、音沙汰がなくなります。このような状態で正月を迎えます。この頃の作者は、夫の仕打ちに苦しみながらも、兼家の邸宅の近くに転居し、病後の夫の見舞いに訪れるなど、周囲から重要な妻として尊重されている印象です。
巻末で、15年の結婚生活の総括。年が明けても夫への悩みが尽きずに嘆いてばかりの頼りない身の上が、まるで儚く消えやすい『かげろう』のよう。そのため『蜻蛉日記』と名付けたと記されています。
うつろひたる菊(町の小路の女)はどの場面か
高校の教科書に「うつろひたる菊」「嘆きつつひとり寝る夜」「町の小路の女」などの題で載っている段は、いずれも上巻の、九月ごろの同じ場面を指します。
三晩続けて兼家が訪れないことを不審に思った作者が、使いの者に後をつけさせたところ、町の小路にある家に車を止めていたことがわかります。数日後に兼家が訪ねてきても作者は門を開けず、兼家はそのまま別の女性のもとへ行ってしまいました。翌朝、作者は「嘆きつつひとり寝る夜の明くる間はいかに久しきものとかは知る」の歌を贈ります。兼家は色の変わった(うつろひたる)菊にこと寄せて返歌をしますが、作者の気持ちは晴れませんでした。段の題名は、このときの菊に由来します。
中巻『夫との距離と道綱』(969年〜971年ごろ)
年明けは和やかな歌のやり取りを夫としあい、つかの間の幸せを味わう作者。息子の道綱は弓を競う宮中行事で活躍します。息子の勝者の舞の披露も素晴らしく、作者はもちろん、大いに夫も喜んだ様子。
しかし、夫との距離ができつつあり、その後は1か月あまり訪問が途絶えてしまいます。夫との不和に悩み、道綱に『尼になって執着を断ち切ろうか』と相談。すると、道綱は『母上が尼になるなら、自分は僧侶になる』と言い出し、泣き出してしまう始末です。夫からは「今は忙しい」と返歌はあるものの、自宅には立ち寄らず、他に浮気相手がいるようです。
めずらしく門前に夫が訪ねて来たようで、作者は気分を悪くして返事をしないという仕返しを。夫は作者を待つことなくいなければ仕方ないと他の女の家に行ってしまいます。
機嫌を損ねて寺で勤行をしていると、『出家をしていないなら、世間の笑いものにならぬよう早く戻るように』と。夫の使いから叱責。夫や作者の父親をはじめいろいろな人がごちそうなどを持って説得し、出迎えにきます。結局、作者は住まいに戻りました。
下巻『子どもたちを生きがいに』(972年〜974年ごろ)
夫の兼家は大納言に昇進しました。作者が『お祝いの言葉を伝えない』と、久方ぶりの訪問で夫から恨み言。作者は『あまり来てもらえないので、戸締まりをしっかりしていた』と嫌味を言います。
道綱以外に子どもが生まれないため、兼家が他の女に産ませた娘を養女にする決心をする作者。夫が訪ねてきた折に可愛らしい女児を紹介し、彼の娘という素性を隠して会わせると夫が喜びをあらわにします。一方、実子の道綱には気になる女性が現れ、短歌のやり取りをするが失恋した様子。
しかし、夫との仲は冷える一方。兼家は『近江の女』との付き合いを盛んにし、ますます彼女への訪問が減っていきます。あまりにも仲が悪くて、兼家の屋敷のそばから父の住居、都の端の広川を超えた場所に引っ越す作者。川を超えてまで作者のもとに来ることはすっかりなくなってしまいました。
『蜻蛉日記』の結末は、作者が39歳を迎えた年の大晦日です。門を叩く音を聞きながら年の暮れを過ごす場面を最後に、日記の筆は途絶えています。夫婦の関係が修復されるわけでも、はっきりと決別するわけでもありません。答えの出ないまま書くのをやめている、という終わり方そのものが、この作品の読みどころとされています。
現代語訳で読むなら|性格のちがう2冊

『蜻蛉日記』のあらすじは、原文だけではなかなか理解しづらいでしょう。現代語訳が掲載されている書籍を紹介します。
『蜻蛉日記 ビギナーズ・クラシックス 日本の古典』(角川ソフィア文庫)
あらすじを理解しやすく、古文の読解を難しく感じる若い世代、あまり原作を読み慣れない大人におすすめです。現代語役と原文、補足説明を書いたコラムが掲載。あらすじとそれぞれのエピソードの背景がわかりやすいです。
『現代語訳 蜻蛉日記』室生犀星訳(岩波現代文庫)
作品の持つ原文の雰囲気と現代語訳を深く味わいたい人におすすめ。注意書きなどがなく、すっきりと読みやすいと評価する人も。夫との関係に悩む女性の姿が描写され、作者の苦悩が強く浮き彫りになっています。
編集長のひとこと:先に3巻の年代を押さえてから本文に入る
田中寛大大学院で学術書を精読していたころに身についたのは、本文に入る前に構成の枠を先に頭へ入れておく読み方です。章立てと時期の対応が分かっていると、途中で今どこの話か見失わずに済みます。
『蜻蛉日記』は上巻だけで15年、中巻と下巻はそれぞれ3年しか進みません。この時間の粗さの違いを先に知っておくと、上巻の駆け足の記述と、中巻以降の細かい心理描写のギャップに戸惑わなくなります。上の表で年代を確認してから本文に入ることをおすすめします。
『蜻蛉日記』に関するよくある質問
『蜻蛉日記』を読むときによく寄せられる疑問を、6つにまとめました。
- 『蜻蛉日記』のあらすじを簡単に教えてください
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藤原兼家と結婚した作者が、夫の訪れが遠のいていく約20年間を書いた日記です。上巻では結婚と息子・道綱の誕生、そして町の小路の女の登場までを15年分。中巻では夫との距離が開き、出家を考えて寺にこもるまで。下巻では養女を迎え、近江の女の登場で関係が冷え切っていくまでが描かれます。
- 『蜻蛉日記』の結末はどうなりますか?
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作者が39歳を迎えた年の大晦日で、筆が途絶えています。夫婦の関係が元に戻ることも、はっきり別れることもありません。結論を出さないまま書くのをやめている点が、この作品の特徴です。
- 「うつろひたる菊」はどの巻の場面ですか?
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上巻の、九月ごろの場面です。教科書によって「嘆きつつひとり寝る夜」「町の小路の女」という題でも載っていますが、いずれも同じ段を指します。兼家が町の小路の女のもとへ通っていることを知った作者が門を開けず、翌朝に和歌を贈る一連の流れです。
- 「町の小路の女」とは誰ですか?
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上巻に登場する、兼家が通っていた女性です。本名は書かれておらず、住んでいた場所から作中でこう呼ばれています。兼家とのあいだに子をもうけますが、のちに捨てられて落ちぶれたと作者が伝え聞く場面があり、作者はそれを聞いて胸のすく思いをしたと書き残しています。
- 『蜻蛉日記』という題名の由来は何ですか?
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上巻の巻末で作者自身が書いています。夫への悩みが尽きず嘆いてばかりの頼りない身の上を、儚く消えやすい「かげろう」にたとえたことが由来です。15年の結婚生活を振り返る総括の部分にあたります。
- 『蜻蛉日記』の作者はどんな人ですか?
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藤原道綱母と呼ばれる女性で、本名はわかっていません。936年ごろ〜995年ごろの人と推定されます。系図集『尊卑分脈』に「本朝第一美人三人内也」と記された美人で、和歌の名手でもあり、小倉百人一首には「嘆きつつひとり寝る夜の明くる間はいかに久しきものとかは知る」が右大将道綱母の名で選ばれています。
『蜻蛉日記』は答えを出さずに終わる20年の記録
蜻蛉日記のあらすじを見ていくと、一夫多妻制の妻側の苦しみがあぶり出されています。作者はプライドが高く美人で歌も上手な才色兼備の女性。夫の藤原兼家は時の権力者で名うてのプレーボーイの男性です。
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