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『吾妻鏡』とは?書名の由来や内容と書かれた理由なども解説!
『吾妻鏡』は鎌倉幕府に関する書物、鎌倉時代の軍記物などといった漠然としたイメージがあるかもしれません。具体的に何が書かれているのかよくわからないという人もいるのではないのでしょうか。本記事では『吾妻鏡』の特徴、書名の由来や書かれた目的などについて紹介しています。
『吾妻鏡』(あずまかがみ・あづまかがみ)の特徴
『吾妻鏡』は現存する写本では、52巻(巻45は欠落、実質51巻)。和語(日本語)で書かれた漢文の形式を取っているため、原文では内容を理解するのは難しいでしょう。簡単に『吾妻鏡』の特徴について紹介します。
書名は『東国(鎌倉幕府)の記録をまとめた書物』という意味
『吾妻鏡』は『東鏡』とも表記することもあります。『吾妻』は東国のこと。この場合は、東国(鎌倉幕府)を指します。『日本武尊(やまとたけるのみこと)』が、東国の平定のために生け贄になった妃のことを頭に浮かべ『吾が妻(意味・私の妻)』と言ったことが由来。『鏡』は手本となる書物のことです。
編者や成立年代について
はっきりとした年代はわからないものの、成立は1300年頃ではないかと伝えられています。鎌倉幕府の公文書を扱う役人が記録したものを集めたほか、北条氏の庶流で、学問に打ち込んだ金沢(かねさわ)家が編集に関わっているとのこと。金沢家は北条義時の五男、実泰(さねやす)の一族で、嫡男の実時(さねとき)が金沢文庫(かねさわぶんこ・武家が初めて作った書庫)を設立しています。
平安時代末期~鎌倉時代中期頃が舞台
後白河法皇の皇子、以仁王(もちひとおう)と源頼政(みなもとのよりまさ)が打倒平氏のため挙兵(1180年)~鎌倉幕府6代将軍、宗尊親王(むねたかしんのう)の将軍解任と京都送還(1266年)までが書かれています。鎌倉幕府初代将軍の源頼朝~6代の宗尊親王まで、将軍ごとの編年体形式で表記。
初めて武家政権が主体となった書物で、鎌倉幕府関連の記録が大部分を占めています。朝廷や西国などの鎌倉幕府周辺以外の地域のこと、幕府直属の家臣ではない武士や、幕府に関わりの少ない貴族や朝廷関係者などについてはあまり記録されていません。
後世の武将にも愛読される
『吾妻鏡』は、戦国時代の武将に好まれ、とりわけ江戸幕府の初代将軍にあたる徳川家康の愛読書として有名です。武士の心得や国の統治の仕方を学ぶために熟読したと伝えられています。武家の教訓にするため、広く版木で印刷をして広めたということです。
現代では、下記の書籍で『吾妻鏡』のあらすじや、ほかの歴史書との違いを確認できます。
- 『ビギナーズ・クラシックス 日本の古典 吾妻鏡』(編集 西田 友広)角川ソフィア文庫
- 『吾妻鏡 鎌倉幕府「正史」の虚実』(藪本勝治)中公新書
『吾妻鏡』が書かれた目的とは?
多くの人は鎌倉幕府の記録を残すために『吾妻鏡』を編纂したのではと考えるでしょう。ただし、北条氏の立場からすると、単に記録を残す目的だけではないようです。正確な記録でない部分があり、どのようなことを意味しているでしょうか。
『得宗(とくそう)家』の立場を高めるため
『吾妻鏡』は北条家の中の主流の家柄である『得宗家』の立場を高め、気を配るような記述が目立ちます。『得宗』とは、初代の北条時政~9代の高時までの流れを汲んだ家柄。執権(鎌倉期の将軍を補佐する筆頭の役職。北条氏が占有)を担う立場というわけではありません。4代めの当主、時氏以降は短命で病弱の人が多く、他の北条氏庶流の家柄の年長者、実力者などが繋ぎとして担当している例が増えていきます。
『吾妻鏡』が成立した1300年頃は、北条貞時が9代めの執権の時期。貞時は1301年に亡くなり、得宗家ならびに得宗家の家臣である御内人が力を持ってきた時期です。得宗家の家の当主の一覧は以下の通りです。
- 初代…時政(ときまさ)初代の執権
- 2代…義時(よしとき)時政の次男、2代執権
- 3代…泰時(やすとき)義時の長男(庶長子)、3代執権
- 4代…時氏(ときうじ)泰時の長男、執権に就く前に亡くなる
- 5代…経時(つねとき)時氏の長男、4代執権
- 6代…時頼(ときより)時氏の次男、5代執権
- 7代…時宗(ときむね)時頼の次男(嫡男)、8代執権(幼少のため、6代と7代は他家から執権就任)
- 8代…貞時(さだとき)時宗の長男、9代執権
- 9代…高時(たかとき)貞時の長男、14代執権(10~13代、病気で出家後の15、16代は他家から執権就任)
北条義時と泰時父子を持ち上げる記述
『得宗家』の中でも、『吾妻鏡』では義時と泰時を褒める記述が多くみられます。北条氏は権力闘争で、他家の追い落としを計画。『吾妻鏡』では、父の時政が後妻とその子供可愛さに起こした事件とみなし、父を鎌倉から追放する処分を正当化しているようにみえますね。また、義時には神仏の加護が厚く、実朝暗殺などの危ない目に遭いながらも被害を回避した形で描かれています。
泰時は嫡男ではなく庶長子で、本来なら当主となるのは難しい立場。しかし、2代の頼家と3代の頼家と実朝と比較して褒め、将軍よりも人情に厚く統治能力のある為政者という印象を与えています。実は『吾妻鏡』の編纂に関わった金沢家は、義時の死後にお家騒動を起こした義時の2人目の正室の伊賀局の息子の家系。泰時の立場を重んじて神格化しているのかもしれません。
泰時は武家初めての法律『御成敗式目』を作り、数々の事件や騒動にも慌てずに周囲と協調し、三男以下の異母弟との関係を良好に保っています。側室の息子という出自を度外視しても、尊敬される優れた人物だと推測できますね。義時の次男、朝時(ともとき)の家系、名越(なごえ)家は、泰時が一定の配慮をしても得宗家に反抗的だったそうです。
史実を曲筆している場面もある
『吾妻鏡』に書かれていることについて、事件が起こった日時をぼかしていたり、わざと数日ほどずらしていたりする描写があります。『吾妻鏡』の編纂の担当者が、当時の状況や政治の事情などを考えて、あえて事実と異なる内容を記載したとのこと。朝廷や西国で起こった事件は離れた場所のため、情報が届くまでに時間差があり把握しづらかったことも関係しているようです。
欠落している部分の謎とは?
およそ10年分欠落している部分があり、わざと内容を載せずにいたのか、完成後に紛失してしまったのか判明していません。『吾妻鏡』ではほかに、初代将軍の頼朝の死去に関する部分について、3年ほど記載がない部分もあります。頼朝の死が北条氏に関係していたのか、北条氏に都合の悪い部分があったのではないかと推測されているとのこと。今後の研究が待たれますね。
『吾妻鏡』とは?鎌倉幕府の記録と得宗家を褒め称える歴史書
『吾妻鏡』は東国武士による鎌倉幕府の歴史書で、将軍ごとにまとめた編年体で書かれています。ただ、北条得宗家の立場を高める配慮のために編者の曲筆がみられたり、時系列がはっきりしなかったりする場面があり、信憑性に欠けるといわれることも。欠落しているところもあるため、ほかの歴史書と比較しながら読み込む必要があるでしょう。